俺はあいつに会って、『おい』以外から会話を始めたことが無い。
それは、こんにちはだのおはようだのという挨拶までするほど馴染みはなく、かと言って『神楽』と名前を呼んでこちらを振り向かせるほどに気安くも無く、ましてや頭や肩の一つも軽く叩いて笑いかけるなんて芸当をしてやれるほど親しくもなかったからだ。
それは今だって変わらない。
『あるいは俺も』 CAST:Kagura,Hizikata.
「おい」
「……、…あ。串多クン」
「くしたってなんだよくしたって無理矢理逆さまにしなくてもいーんだよ別にっ!」
思わず長々と突っ込んでしまってから少し後悔。そんなに暇でもないってのに。
雨が降っていた。神社の境内はそれでなくとも薄暗いが、重く垂れ込めた雲の所為で余計によどんだ空気がこもっているような気がした。闇の中で紫陽花がやけに鮮やかに輝いて見えた。
そんな中、御社の下の広い縁の下・真っ暗闇の中で、その瞳の蒼く煌めく光を見たのだ。
「串多でも多串でもどうでも良いんだ俺は土方だ、それよりお前、なんでこんなとこに居る」
「…お前関係ないヨ」
「……可っ愛くねぇなホントに。いーか確かに関係ねぇつーか関わりたくもねぇ、けど俺は真撰組だ要するにこの街の警察だそして今は市中見回りの最中なんだ、家出少女を神社のじめじめした縁の下に放っとくような無責任な真似ぁやりたくても出来ないんだよっ!」
「……お堅いネ。まさに役所仕事」
「てめぇのこと考えてやってんだ。で、なんだ。マジで家出か?」
「…銀ちゃんが……」
「銀ちゃんが?」
「買いだめしてたチョコぜんぶ私が食べて、買いだめしてたイチゴミルクぜんぶ定春が飲んだら、ごっさ怒って、追い出されたアル」
「…それはお前らが悪いんじゃねぇか?」
「銀ちゃん糖尿病予備軍ヨ。私、糖分摂取の抑制に協力してやったネ。定春だってそうアル」
大体イチゴミルクなんて生もの、買いだめするよーなもんじゃ無いネ!と心底不満そうに言う少女を、半分呆れた目で見つめた。
全く、ガキもガキなら大人も大人だ。つーかガキしかいねぇんじゃねえの、あそこ?
「で、犬はどーしたよ」
「定春、お腹いっぱいで眠っちゃったヨ。重すぎて銀ちゃんでも追い出せなかったアル。なんか銀ちゃんが一生懸命押し出そうとはしてたけど、いくら待っても一緒には行けそうに無かったから、置いてきた」
「…あっそ。」
「ホレ、分かったらとっとと行くヨロシ。これでも私夜兎族ヨ」
一人でだって全然平気ネ。しっしっと犬を追い払うように手を振りながら邪険にそう言われたが、そのまま立ち去りはしなかった。仕事への義務感だろうか。それとも、なんだ?
「…何してるアルか」
「…夜兎族以前に、お前はガキだろ」
なんとなく浮かんだのは、以前あの銀髪の侍がぼやいた言葉。
『あいつらの近く居ると、なんかどんどん保護者の気分になっちゃってさぁ。』
あるいは俺も同じなのかも知れない
「この雨じゃ、そんな狭い縁の下なんぞすぐ水溜りだぜ」
「…そしたらお堂の中にお邪魔するアル」
「馬鹿。とっとと帰りゃ済むことだろ」
しゃがんで、視線を合わす。薄い闇の中に傘でまた出来る小さな影。少し濡れた桃色の髪と、怒ったようにこちらを睨む蒼い瞳と、闇に浮かび上がる白い肌、と。
「いつも持ってる傘はどーした」
「…定春が踏んでて、引きずり出すのも面倒くさかったから持って来てないネ」
雨雲のおかげで、太陽も出てなかったし・と。
「なら、この傘やるよ」
蒼い瞳がきょとんと丸くなる。もう一度、口だけでも不器用に笑ってやる。
「俺は別にあっても無くてもどっちでも良いからな。お前はもう万事屋に帰れ」
とん・と彼女の小さい肩に傘の柄を乗せる。
「保護者気分の馬鹿二人、必死こいて探してるかもしんねぇぞ?」
そして此処にも馬鹿一人、か。
彼にしては珍しく、自然と笑みが零れた。
「…銀ちゃん、怒ってないかな」
「あいつは怒ったって五分で忘れるタイプなんじゃねぇか?」
少しはっとしたような間が空く。
「……言えてるアル」
初めて、にやっと笑った。肩にもたせられた傘の柄を、きゅっと握る。小さな手。
「じゃ、遠慮なく借りてくヨ」
おう・と応える。どうせ屯所の置き傘、それも市中見回りのたびに誰かが拾ってくる忘れ物だ。一本程度、どうということはない。
水溜りをぱしぱし跳ねつけながら駆け出しかけたその背中は、一瞬ぴたりと止まった。くるりと回る。
「串中クン!」
「土方だ!!」
「ありがとッ!」
「…あ?」
早口で勢い良く言われた明るいその言葉に呆気に取られる間もなく、少女は駆けていった。その背の遠ざかり方が常人の二倍のスピードのように思えたのは、決して彼の錯覚ではないと思う。
しばらく立ち尽くした後で、ふんと鼻で哂った。雨に濡れた煙草の火が、音も無く消えた。
俺はあいつに会って、『おい』以外から会話を始めたことが無い。
それは、こんにちはだのおはようだのという挨拶までするほど馴染みはなくかと言って『神楽』と名前を呼んでこちらを振り向かせるほどに気安くも無くましてや頭や肩の一つも軽く叩いて笑いかけるなんて芸当をしてやれるほど親しくもなかったからだ、そして。
そして、何も言わず互いに素通りできるほど、知らない仲でも無くなったからだ。
--------------End.
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結局この二人に何をさせたいんだろう私は…(え)
神楽が傘を手放すなど在り得ないとは思いつつ。なりゆきで土方から傘を貸してもらって欲しくなったからなんとなく(なんとなくで設定いじるなよ) もうちょっとすっきりした話を書けるようになりたい次第です、ハイ…。。