ららんららら ららんららら ららんららら。
小さな、もっと言えばか細い、声だった。
細くて小さくて高い微かな歌声が、雨の隙間を縫って耳に届いた。
ざー・ざー・ざー。ららんららら・ららんららら・ららんららら。
暗闇の中、ぽつりと灯った鮮やかな緋色。
『雨の中のメロディー』 CAST:Hizikata,Kagura.
「…何やってんだ……」
「…お前こそ何やってんだヨ」
睨むような目つきにはあまり力が無い。妙な感覚だった。
「俺は見回りだ。つーか見回り以外じゃ滅多に屯所の外出ねぇからな、俺」
「陰気くせー、ヒッキーかヨ」
「んだとコラ」
毎度のことである憎まれ口の応酬の後、ふと顔をしかめる。立ち止まってみると降りしきる雨はひどく冷たかった。とりあえず彼女の居座っているのと同じ屋根の下に入る。誰の御屋敷の塀だか、もう忘れてしまった。今は有り難いけれど。
「…で、何やってるネお前こそ。傘もささないで」
「お前だって微妙に屋根からはみだして濡れねずみじゃねーか」
「わたし夜兎。お前地球人。こんなんで体壊すの宇宙中でもお前らくらいアル」
「あーそうかい…別に何ってコトも無ぇ。単に傘持って歩くのが面倒臭かっただけだ」
「あっそ。」
「…帰らねぇのか?」
「何処へ?」
「万事屋。」
もう一時近いぞ・と付け加えたが、白い顔はそっぽを向いた。あくまでも喧嘩売る気かこの野郎、そう内心毒づいたものの、平素との彼女の様子と何処か違うような感は未だ否めない。深くなり始めていた眉間の皺をさらに寄せて、煙草を取ろうとポケットをまさぐった。取り出したその箱からぽたりと一滴水が垂れたのを見て、ライターは探さなかった。びしょ濡れの箱をポケットに戻す。
「……さっき、歌。」
ぴくりとちいさな肩が震えた。
「歌…なんか、歌ってたろ。」
「…盗み聴き趣味悪イヨ」
「聞こえたんだ悪いかコラ」
決まり悪そうな声が返ってくる。
「…歌ってたヨ。ちょっとだけど」
「流行りの歌か?」
ふるふる。首が横に振られる。抱えた膝の中に顔が更に埋まる。濡れた髪が腕にぺたりと貼りつくのが見えた。
「…故里の歌か?」
ずり。ほんの少し首が下にずった。どうやら微かに頷いたらしい。ふぅんと呟く。
「ホームシックかよ。平和で良いねェ」
「そんなんじゃないヨ。今の気分に合ってるから歌ってただけアル、故里とか全然関係ないネ。妙な勘違いすんナ多串」
「お前ホント好い加減にしねーと斬るぞ」
「……ふんだ。」
珍しく辛口の反撃が来なかったのでやっぱり妙に思えて下を見た。膝を抱いて俯いて、濡れた地面に躊躇いも無くぺたりと尻をついて座る彼女は紛れも無く少女だった。幼い、あどけない少女だった。
「……。」
ちっ・と舌打ち。それからばっと上着を脱いでぽいと投げるように彼女の上に被せた。鈍く強くずきりと左肩が痛んだが、今更顔をしかめることもないので何食わぬ顔で元のように壁にもたれる。
「……」
彼女は土方をを見上げているようだった。しばらく無視を決め込んでいたが、逸らされる気配の無い視線に嫌気が差してまた下を見る。怪訝そうな瞳が被さった上着の下でじっとこちらを見ていた。夜の闇そして雨の所為で更に暗い中唯一の光源だった街灯の明かりを受けて、蒼く煌めいている。
「…被ってろ。濡れてるけどな、無いよりゃマシだ。少しは熱がこもるから」
「要らないアル」
「なら帰れ」
「別に帰ること無いもんヨ」
「帰る場所は在るだろ」
「今帰っても誰も居ないもんヨ」
あの銀髪野郎、養育義務放棄でとっ捕まえてやろうか。
「…居なくても、」
はあと深く深くため息をついて、しゃがんで目の前の小さな顔を見つめる。降りしきる雨の音は穏やかだが止まない。途切れない。
「居なくても、誰かがお前を捨てたわけじゃ無ェ。居なくなれば心配する奴が居るし具合悪くなりゃあ悲しむ奴も居る」
「…分かんないヨ」
「その内分かるさ」
「……」
俯いてまだ何か考えている様子の彼女に、今更ながら苛立ちを覚えた。がしがしと頭を掻く。
「……思い切りの悪い奴は嫌いだ」
「…好きで思い切り悪くいるんじゃないアル」
「しょーがねーな」
「ン?」
何アルか・そう呟くか呟かないかの内に、被せた上着ごと彼女の身体をすくい上げた。思っていた以上に、今まで感じていた以上にふわりと軽かったそれは案外容易に腕の中に納まる。
「何……降ろすヨロシっ」
「おーおー冷えてる冷えてる」
「上着越しじゃんっ」
「上着越しでも分からぁ。ったく、お前いつもの傘どーした」
「今姐御に貸し出し中アルっ、ゴリラ撃退にちょっと貸してって言われたかラ」
「…明日無事に近藤さん帰ってくるんかな……」
「おーろーせっ、降ろせーっアル」
「静かにしろ」
少し腕に力を込めてそれまでより引き寄せる。騒いでいた彼女の声がふつりと止まった。ふんと笑う。
「寒いよりは暖けぇ方が良いだろ?」
「……」
ふんだ・と言ったようにも、すん・と鼻をすすったようにも聞こえた。ただとりあえず、言葉らしいものは無かった。
「…万事屋、万事屋……ったく、こんな庶民のチャイナ娘相手にお姫さま抱っこなんざ」
「……多串クン」
「なんだ復活したのか。…なんだ?」
「…どきどきゆってるの聴こえるヨ」
ほとんど胸に頭を押し当てているような状態だったから聴こえやすいのだろう。しかしお前の頭がくっ付いてるのは右胸なんだが・そう内心ツッコミながらも、
「当たり前だろが。生きてんだから」
「……それとねぇ…」
「あ?」
こちらをうかがうような目で見上げてくる。
「…多串クン、ほんとに私抱えてウチまで行けるのカ?」
今度は土方がきょとんとして神楽を見る番だった。
「…何言ってんだお前」
「んー…だってぇ」
「ボケたこと言ってんじゃねーぞ。…見えてきた」
「オッ」
無意味に派手な「万事屋銀ちゃん」の看板。見えれば、やっぱり表情は華やいだ。ため息をつく。
かん・かん・かん。非常用階段みたいな鉄の階段を一段一段上り、やっとのこと玄関らしきドアが見えてくる。知らず、長く息をついた。
「…ほれ……お前、の」
一番上までくると、ふっと何かが抜けたような感覚に襲われた。ぐるりと視界が回る。
「……家…」
言い終わらないうちに姿勢が崩れた。どたん・と、それでも抱えていた彼女を下には敷かないように、咄嗟に横に倒れる。
鉄造りの床は冷たかった。雨が薄い鉄板を叩く音が聴こえた。絶え間なく、水滴が自分を叩くのを感じていた。
「だから言ったヨ」
呆れたような彼女の声を薄い意識の中で聴いた。
「…もしかして、忘れてたノ?」
そうかもしれねえな畜生・と内心毒づいた。今更酷く溢れ始めた血が、どろりと床を這っていくのが見える。ああ雨でも誤魔化せない・と少し思う。
「しょーがないネ。家ん中入れてやるアルヨ」
心底やれやれ・といった感じの声音だった。若干腹が立ったが、身体が動かないので怒ることも突っ込むことも出来ない。かろうじて指先は動いた、が。
ばさっと音がして、彼女にかけた上着が逆にまた自分へかけられたらしい感触がした。温かさと重みが背中にかかる。少なからず彼女自身の体温が残っているらしかった。
「ヨイショ」
小さな掛け声と共に、ぐいと凄まじい力で引っ張られる。どうやら肩を担がれたようで、腕に生温く彼女の首の体温が沁みてくる。
ずりずりずり。
いくら力はあっても身長が無いので足は引きずって。
ららんららら・ららんららら・ららんららら……
またあの歌だった。ただ、今度は心持明るい歌声のような気がした。
本当は傘は必要無いと思ったので持って来ていなかっただけだった。
土方が屯所を出たのは雨の降り出すずっと前で、そして雨が降り出すまでに何人かを斬って一度受けて。
少しすると思ったより傷の深いことに気が付いたけれど、丁度良く雨が降ってきたから。だから、多少の血ならすぐ洗い流されて、血だまりも点々と落ちていく滴の痕も全部、消してくれると。
そう思って雨宿りはせずにいた。雨に打たれたまま、打たれっぱなしのまま、歩いていた。
本当はそのまま真っ直ぐ屯所まで戻るべきだった。
そんな中で足を止めるのは自殺行為に等しかったが。勝手に家を出てうろついている子供一人をわざわざ抱えて家まで送ってやるなど馬鹿に等しかったが。
ららんららら・ららんららら……
あの歌に足を止めた時点で、俺の行動は全部決まっていたんだろう。
歌声が少し止んで、からからと引き戸を開ける音がして、不意に雨が身体を打たなくなった。着いたアルヨーと呑気な声がする。
「血の匂いするから、怪我かなんかだとは思ったけド」
ずりずりずりずり。靴も脱がないままずんずん奥へ。おい良いのか・と口の中で言ったが、多分聞こえてはいない。かといって言い直す気力も無い。
「倒れるほどとは思わなかたヨ。お前馬鹿デスカ」
「…なんだその言い草」
「ウン、そうネ。ごめんヨ」
案外あっさり謝る。やっぱり彼女にしてはいつにない反応なので、今自分の肩を担いで果敢にも引きずり歩んでいくその顔をじっと見る。雨の中で見た陰は無く、いつものまん丸く開いた瞳で前を見ていた。
「ほれ、寝るアル」
不意にその口が言った。は?と訊く間もなく、ぽいと投げるように捨てられた。
ぼふ・と軽い音がして、それなりに柔らかいソファに少し沈む。汚れると思うが大丈夫なんだろうか。だがそんなことを気にして立つ余裕はやっぱり無かった。
「定春も居ないからお前でも安全。安心するヨロシ」
「……いない?あの犬が…なんで」
「姐御に貸し出し中」
「…あの女は今日全てを終わらせる気なのか?本腰入れて全てを終わらせる気なのか?」
「オッ、いっぱい喋ったアルな。よいよい、そのまま元気になるアル」
「いやこのまま元気に・はちょっと無理だと思うぞオイ」
「寝れるまで歌うたったげるヨ」
「あぁ?」
見上げた彼女の顔はにっこり笑っていた。酷く楽しそうに。
「さっきの歌。私小さい頃、お母さん歌ってくれたネ」
「何、お前俺のお母さん?」
「馬鹿言うナ、お前みたいなひねくれた息子死んでもごめんヨ」
「この野郎」
「せいぜい好きな人どまりアル」
「……はい?」
「嘘ヨ」
次の言葉は言わせず、ららんららら・とまた歌が始まった。心なしかゆるやかに、のんびり優しく伸びてゆく。
土方の頭を乗せてあるソファのへりに、ちょんと腕を置いてその上にまたちょんと頭を乗せて。
酷く楽しそうに歌う。酷く楽しそうに笑いながら、じっと土方を見つめている。
「……。」
土方もしばらくは荒い息のまま目を開いて天井をじっと見つめていたが、その内に何か諦めたようにふっと瞼を降ろした。
雨の音。雨の音だ。それ以外に自然な音は無い。
ただ、微かに流れていく歌だけが、雨音の中にあってはっきりと、それでいて柔らかく辺りを満たしていた。
じきに歌い手も眠ってしまって、雨だけが夜を叩くようになる。
-----------End.
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うわぁやっと土神新作!(え) 結構気合入れて書いたんですけど…ど、どう…でしょう……?(恐る恐る)
書けば書くほどに話のオチがパターン化していくのがつらいです。おいおい早すぎんだろネタ切れすんのが(馬鹿)
裏話的(?)には、この話は大塚愛のアルバム曲「雨の中のメロディー」にかなり助けられた面があります; イメージ強すぎてタイトルもお借りしてしまいました;;
なんか素朴なメロディで、歌詞も単純なのにすごい好きですv「桃の花ビラ」に次いでおすすめ!(笑) 次のネタは多分「桃の花ビラ」基本イメージになるものと…。。 もう良い、大塚愛が私的土神ソングライターだ(お前だけ)